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『人生のアルピニスト』

9月9日(金)晴れ

アルピニスト』という言葉を調べると・・“アルプスなどの山登りをする高度な技術と、山登りに対する高い哲学を持ち合わせた登山家をいう”とされていました。

 

僕は人生を山登りに例えることがあり、実際に自分も先の見えない人生の山を登っているように捉えています。(本物の山は登りませんし、さほど興味もありません。)

 

山登り(人生)の初めは、家族(親)に手を引かれて登り始めました。登り始めて回りを見渡すと同じような年令の子も多く、中の数人と仲良くなりました。(学校で出会った友達です。)

 

ある時は家族と、ある時は友達と楽しく話しながら山を登っていますが、この時は“何故、自分が山(人生)を登っているのか?”“何のために登っているのか?”を知る由もありませんし、実際、考えたこともありませんでした。(小学生の頃かな)

 

親が、社会が導いた山をただただ登るだけの毎日でしたが、まだまだ2合目、3合目といったくらいで足はパンパン、空気も薄くなり、山登りが辛く感じる時期があります。(受験や就活などの壁にあたる時期でしょうか。)

 

そうした時、改めて『何故、この山(道)を登っているんだろう?この山(道)でいいんだろうか?』と感じるようになりました。

当初は同じ山を登っていた友達も、既に自分で登りたい山(人生)を見つけて、トライしだしている者もいます。

僕と同様に、親や社会に導かれた山を登り続けている者も多数います。

ただ、両者には大きな違いがありました。“眼”(心)です。

自分の登りたい山(人生)を見つけた人は同じ辛い山登りも、確かな目標を持ち、眼が輝き、多少の苦難にも屈しない精神を持ち合わせはじめています。

反対に、僕と同じように自分が決めた山(人生)を登っていない人は、眼の輝きが乏しく、小さな苦難で挫けてしまい、回り道や休憩が多く、なかなか登れてはいません。

 

自分の登りたい山(人生)を自分で見つける(見分ける)ことが出来ないでいた僕は、既に自分の登りたい山(人生)を見つけ、眼を輝かして楽しく登山している人と同じ山登りをさせてもらい、一緒に歩く事で自分に足りない部分(人生を見分ける力)を見つけようと考えました。

そして、自分の登りたい山(人生)が見つかった僕は、今、新たに“家族”と“同僚(仲間)”というパーティーを得て、山登りを続けています。

今は山の中腹(5合目)あたりかな。。。

まだまだ雲の下にいるので、頂上は見えません。

頂上に着いた時には、きっと頂上から眺める景色よりも、頂上まで登った仲間との道のり(人生)に感動するはずです。

 

そうして考えると親の役割としては、子供が山(人生)を登るための基礎的な体力や知識(職業能力や社会適応力)を身につけさせると同時に、自分の登るべき山(道)を見分ける(自己の特性と社会情勢を知る)力も身につけさせる助力を行わなければならないんだろうなと感じます。

 

自分の山を見つけきれていない方、僕と一緒に山登りしませんか?(只今、メンバー募集中!

道中、退屈させませんよぉ。なんてね。(^^)/

 

これから、職業を聞かれたら『人生のアルピニスト!』と言うようにしようっと。。。

“人生のアルピニスト倶楽部”へ入会希望の方は、下記のコメント欄からどうぞ!(^^)

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