ケアネットの方向性や僕の考えを書き込んでいます。ボヤキもね。気ままに更新してます。時々覗いてくださ~い!

『東日本大震災被災者及び被災地の早期復興を望む』

3月22日(火) 曇り

久しぶりのブログ更新になります。この間に日本では大変な災害が起こりました。

連日、テレビや新聞等で報道される内容は現実とは思いにくい状況ばかりで、被災地の方々の心労は想像を絶するものと察します。

日本や諸外国でもこうした地震等による被災の報道がされ、いつも対岸の火事のようにその報道を見ては、『うちも避難グッズを整備しないと・・・。』と口先だけで話し、結果は特に何の対策も講じてはいない自分がいます。

今回の地震が起こった際にテレビで報道されているのを見て、『結構大きな地震やで~』と他人事のように感じた部分も大きかったのが事実ですが、日を経過するごとに死傷者や行方不明者が増え、また多くの集落が壊滅状態となっている様、その後の原発の問題等も含め、余りにも日本という国と被災地に暮らす人々に与えた被害の大きさに驚きと虚しさ、そしてある種の恐怖すら感じます。

この現実を伝えられた者として何が出来るのか?

阪神大震災の時は近隣であったにもかかわらず、対岸の火事のような思いで見てしまっていましたが、今回はその時とは状況も異なり、自分には守るべき家族もいます。その責任のある者として、今度は一定の準備と対策を講じておきたいと考えています。

また被災された方々へは遠く、何もお力になる事はないでしょうが、先日、和歌山県の方から被災地へ救援物資を送るので一般の方に救援物資の持ち寄りを募る伝達があり、これに賛同する形で、ケアネットのスタッフにも声かけ、皆の協力を得て、僅かな物資ではありますが、和歌山県を通じて岩手県へ物資を送って頂けることになりました。(下記画像がケアネットのスタッフで集めた心のこもった救援物資です。)

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賛同頂き、物資を提供してくれてスタッフの皆さんには心から感謝です。

無事に被災地に届き、例え僅かな人にとってでも、喜んで頂けることを願っています。

『困った時はお互い様』とよく言いますが、実際に助け合うことは困難な時もあります。昨今の日本では人々のコミュニケーション能力や協調性、所謂、人づきあいを不得手とする人が多くなっているように感じます。

核家族化やマンション暮らしなど、プライベートでの外部(他人)との接する機会が減少しているのも要因ではないか?と感じますが、通常の生活(特に生活に支障が無い生活レベル)では、とかく他人の批評や悪口を耳にしますし、助け合いには程遠く、足の引っ張り合いさえありえます。

そうした現状であっても、こうして困った状況の人を見たときには、それがあかの他人であったとしても、手を差し伸べる勇気と気持ちが大切ではないかなぁ~。と今回、強く感じました。

昨日、喧嘩した隣の住人とでも、万が一大きな事故や被災にあえば、助け合わなければなりませんし、自分自身も助けてもらいたいでしょう。

今、僕たちが例えば職場や、家庭(近隣含む)で口喧嘩や批評したりしている事があるとすれば、それは今の生活が一定の満たされた状態(過剰に裕福な状態ではないが、生活するには差し支えの無い状態)である証拠なのでしょう。

僕らはその状況に感謝しなければならないのだと感じます。何も事故や事件もなく、平穏に暮らせてる状況こそが幸福なのかもしれません。

朝起きて、家族がいて、朝食を食べ、会社に出勤する。お客様や上司に怒られたり、同僚と雑談をしたり、重たい荷物を運んだり。仕事を終え、疲れて帰ると家族がおり、その日の出来事などを話したり、ろくに聞いてなかったり・・。お風呂に入って、ベッドに入る。

何気ない毎日こそが求めるものであり、幸福なのだと。被災地の方々の声をお聞きし、痛感せずにはいられません。

今回の被災を受けられた方々の早期の復興を願っています。

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コメント 1 件

通行人Z より:

今回の地震は1000年に一度の規模のものと聞いて、ふと思い出しました。過去に民主党がおこなった事業仕分けで、水害対策事業についての仕分けを議論している際に、「200~300年に一度の水害に対して、事業継続する意味ありますか?」って言ってたことを・・。ありますよね、意味・・・。1000年に一度の大地震が起きたんですから・・・。

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