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『自分で点数を付けたら何点ですか?』

1月27日(木) 晴れ時々曇り

『自分で点数をつけるとしたら何点?』

 と聞かれて、

『自分では80点くらいかなぁ・・・。』

 なんて会話したことないですか?

自分や自分のしたこと(成果)に点数をつけるのって人それぞれ評価の仕方が違いますよね。

自分に厳しい人もいれば、ポジティブにとらえて自分を評価することで意識を向上させる方もいます。

ただ、他人から評価を受ける場合は、良い評価(高得点)を期待する人の方が多いのではないでしょうか?

人を指導・教育する際には所謂“飴と鞭”という手段により、その時々の状況に応じた評価が必要な場合もあります。

僕も職場での立場上、人(スタッフ)をある種、評価しなければならない機会が少なからずありますが、この評価について相手(本人)にどのように伝える(偉そうに言えば指導する)かについて少し思案する事もあります。

先にお話ししたように大抵の人が他者からは“良い評価”を受けたいわけです。

無論、会社の上司ともなると尚そうでしょう。

“飴と鞭”とよく言いますが、その“飴”と“鞭”の比率が難しく、適切な割合で評価・指導出来るかは、対象になる人にもより大きく異なりますから、とてもデリケートな比率(割合)であり、難しい問題です。

 

例えば、このブログをご覧頂いた貴方は、会社の上司などから『○点』と言われると嬉しく感じ、仕事に対するやる気が更に出ると思いますか?

『そりゃぁ100点と言われた方が嬉しいだろう?』『いや、120点とか?』なんて意見の方もいらっしゃるはず。

逆に、『10点とか、15点とか低い評価(厳しい意見)の方が嬉しい。』といった意見も稀にいらっしゃるかもしれませんね。

皆さんは如何でしょうか?また皆さんが部下などを評価する場合はどのような評価(点数)の仕方をしますか?

また、その評価によって部下の仕事のやる気は増加していますか?

 

話は変わるようですが、僕は自分自身の事もよく評価します。

例えば一つの仕事をこなした時や、小さく言えば今日1日の出来事。大きく言えば今の会社でのこれまでの実績について等、評価対象は様々ですが、ある種、自己反省(評価)会のように、自分自身について見直すように心がけています。

その時、自分に付ける点数を目安で言うと、いつも『50点(100点満点中)』です。

これは物事が上手くいった時も、上手くいかなかった時も同じ評価ですし、そう評価するようにしています。

何故か?というと、上手くいった時は、自分自身も『よく出来た!上手くいった!』といった満足感が必ずあり、良かった所ばかり見ている事が多く、更なる成長を望みにくくなるからです。

例えば『95点』などの高得点を取ると、“達成感”や“満足感”が気持ちの大半を埋めてしまい、満点に足らなかった『5点』の成長チャンスを見失ってしまう恐れがある事が心配です。

逆に上手くいかなかった時は、『頑張ったのに結果が出ない・・。』『他人から評価されない・・。』と悲観的な気持ちになってしまい、中々前向きな姿勢になるのに時間がかかり過ぎてしまう事がよくありますし、人によってはずっと、マイナス思考のままで進んでしまう方もいらっしゃいます。

ですから僕は、良い時も、そうでない時も『50点』と思うようにし、比較的上手くいった時も慢心せずに、更なる向上心を持てるように。上手くいかなかった時も決して悲観せずにポジティブな発想が持てるように心がけています。

半分(50点)は出来た事を褒め、半分(50点)不足した点を更なる成長の為の余白と考えるようにしています。

 

話しは戻るようですが、こうした自己の考え方から、僕は他者に対しても同様の評価を(心の中では)しています。ですから、『この人の成果はすごい!』と思っても心の中では『50点』(まだ伸びる余地あり!)と思うようにしていますし、逆に『全くの成果無しだなぁ~。』と感じても、同様に『50点』(改善の余地はある)と思うようにしています。

ただ、それらをそのまま当人に伝える事はしません。

何故なら、先に話した通り、人によって“飴と鞭”の比率は異なりますし、大抵の人が『高評価』を期待しているからです。

言えば、『それほどの成果で無くても、褒めて欲しい。』といった本音は誰しもが持ち得る部分ではないでしょうか。

そうした点から、大半の場合に僕は『すごいですねぇ~』とか『完璧じゃないですか!?』と言ったりします。

誰しもが『叱られたい!』より『褒められたい!』気持ちの方が強く、褒められた方がやる気が出るわけですから、リーダーは“褒め上手”でなければならないと感じています。

ですから僕も職場や仕事に関係する場では、余り『叱る』といった指導の回数を極端に少なくし、本当は満足出来ない結果(現状)があっても、『褒める』ようにしようと心がけていますし、上手く褒めれない時は、とにかく『笑う』に徹します。(笑って誤魔化してるのかもしれませんね。)

 

ただ、ずっと褒めたり、笑ったりしているばかりでもありません。

個人的な見解ですが、自分から見て(成長や変革が)『期待出来る人』には、所謂『50点』の評価を付けます。

本人が『出来た!』と満足している時は、『ここがまだ出来ていない!』『こうした点を見落としている!』といった感じで改善(余白の50点)を促します。

もちろん、言われた本人は気持ち良くはないでしょうね。

同じく当人が『最悪です。』『全く成果出ず、どうして良いのか解りません。』と言えば、その成果の中でも評価出来る点を探し褒めるようにしています。同時にその後、どうすべきかを解くようにしています。

 

ですから、褒めて欲しい時に、僕が『もうちょっと○○を直さないといけませんね!』『○○の部分の成長が貴方の課題ですね!』と言いだしていたら、僕はその方に期待しているという事です。

 

ちなみにうちの子供には“飴9”対“鞭1”の比率で接するようにしています。

“飴”の比率が多いでしょう?

でも、1しかない“鞭”、この鞭が烈火のごとく炸裂し、子供にとってはお化けや怪獣よりも怖いはずです。

 

“飴と鞭”の比率というのは本当に難しい問題ですよね。

誰か僕にも“飴”をください。“鞭”は要りません。痛いの嫌いなんでね。。。(><)!

 

 

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